海洋土木を通して、
街の暮らしを守る

~新潟西港地区における浚渫工事、海岸侵食対策工事、信濃川左岸緑地護岸改良工事~

海洋土木事業

新潟港(西港地区)

写真:国土交通省北陸地方整備局新潟港湾・空港整備事務所提供

プロジェクトの概要

江戸末期の1858(安政5)年、日米修好通商条約により開港5港の1つに選ばれ、1868(明治元)年に外国船が出入りできる港として開港した新潟港(現在の「新潟西港」)。私たち本間組との縁も古く、終戦の翌年1946(昭和21)年に港周辺海岸の護岸工事を請け負ったことに始まります。現在では、日和山浜から阿賀野川までの海岸線および信濃川河口から萬代橋までのエリアを「新潟西港地区」と呼び、本間組はこの地区に関するさまざまな海洋土木工事に携わっています。今回は、近年手掛けた3つの工事、信濃川の川底から土砂を取り除き、船の運航に支障の出ない深度を確保する「浚渫(しゅんせつ)工事」、波によって砂浜の砂が流出し海岸が侵食されることを防ぐ「海岸侵食対策工事」、みなとぴあ付近の信濃川左岸(古町側)の緑地化と護岸整備を進める「信濃川左岸緑地護岸改良工事」に携わった社員の体験談から、海洋土木工事を通じて街の暮らしを守る本間組の今をお届けします。

プロジェクトメンバー

  • Aさん

    Aさん 土木事業本部 土木部 工事課
    1997年 新卒入社

    新潟県内外において港湾工事や河川工事を担当。新潟港における工事を多数経験しており、現在はケーソン製作工事に従事している。趣味は、雑誌やSNSで紹介されているおいしそうなお店の食べ歩き&飲み歩き。

  • Bさん

    Bさん 土木事業本部 技術部 技術企画課
    2005年 新卒入社

    施工管理職として陸上・海洋・河川工事に従事した経験と、BIM/CIMやICT等の新しい技術で建設現場を支援。現場と共に「いい街」をつくり支える技術者を目指している。

  • Cさん

    Cさん 土木事業本部 土木部 工事課
    2015年 新卒入社

    ポンプ浚渫工事を中心に防波堤・岸壁の築造や撤去などの港湾・海岸工事の施工管理を担当。近年はポンプ浚渫船「第五越後」とともに各地の港をまわり、施工管理業務を行っている。

  • Dさん

    Dさん 土木事業本部 土木部 工事課
    2023年 新卒入社

    学生時代に土木分野を学び、施工を現場からサポートできるゼネコンに興味を持ったため施工管理職を志望。現在は、愛知県の東名阪自動車道にて床版取替工事に携わっている。

暮らしのそばで行う工事ゆえの課題と対策

AさんAさん
工業地帯として街から少し離れたところにある新潟東港とは違い、新潟西港は、左岸には新潟島の下町や古町、右岸には朱鷺メッセを始めとする人々が集う場があります。もちろん佐渡汽船や新日本海フェリーのターミナルもあり、これらの運行を妨げることも許されません。そのため、浚渫工事に使用する「浚渫船」には、作業音を消すためのサイレンサー(本間組が特許取得済)を取り付けて騒音を防止し、常に海象情報(波浪や潮位、風向、風速などの状況を示す情報)をチェックして、船舶の急な運航変更にも対応できるようにしています。
BさんBさん
浚渫工事の多くは海洋に面した大きな港で行われることが多く、新潟西港のように街中の河口で行われることは全国的にも珍しいです。みなとぴあや朱鷺メッセから浚渫船を間近に見ることができる環境も珍しいので、ぜひ一度見てみてください。ところで、取り除いた土砂はどこに運ばれるかご存じですか?その時々の工事の状況によって異なるのですが、現在は排砂管(はいさかん)と呼ばれる管を通って、航路泊地付帯施設まで運んでいます。この場合「ポンプ浚渫船」と呼ばれる、掃除機のように土砂を吸い込んで押し出す船舶を使います。船内には、騒音を抑えるサイレンサーを取り付け、なるべく静かに工事を進めるようにしています。また、この排砂管の設置工事も本間組が手掛け、私も携わりました。
CさんCさん
新潟西港には佐渡汽船と新日本海フェリーという定期便があり、私たちの工事によってこれらの安全な運航を妨げることは絶対にあってはなりません。そのため、全ての運行スケジュールを把握し、工事に携わる関係者と情報共有し、常に連絡を取り合って浚渫工事を進めています。川幅も狭いため、フェリーと浚渫船が簡単にすれ違うこともできません。そのため、「どの船が何時にどの位置にいるか?」「浚渫船はその時どの位置にいるのか?」等、港の全ての動きを予め把握・決定した上で、工事を進めます。
DさんDさん
私は信濃川左岸緑地護岸改良工事に携わったのですが、近くには住宅や多くの人が訪れる「みなとぴあ」もあるため、防音パネルを設置するなど、騒音対策に注力しました。また、護岸工事の一環として、液状化を防ぐために川底の土に砕石を混ぜる「海上地盤改良工事」も行ったのですが、川の中での工事になるため、実際に目で見て確認することができず、予定通りに工事が進んでいるのか不安を感じることもあります。このような「目に見えない部分」を見える化する、三次元モデルを用いた技術開発を本間組でも行っています。

常に想定を超えてくる自然との闘い

AさんAさん
新潟西港地区の工事は、日本海や信濃川という自然との闘いが常にあります。「問題が起こらない工事はない」と言っても過言ではないくらい、自然はいつも私たちの想定を超えてきます。私が経験した中で一番衝撃的だったのは、海岸侵食対策工事の1つである日和山浜の突堤(とってい)建設工事の時でした。地域の方々が魚釣りや散策を楽しめるよう、突堤の先端が円形になっており、この円形部分は扇型のケーソン(コンクリート製の土台)を組み合わせてつくるのですが、この組み合わせ部分が荒波によってずれてしまったのです。ちょうど冬の工事中断期間前、完成間近の状態だったのですが、これによって最初からやり直しに。とにかくこのまま冬を越すための保護対策を講じ、翌年春に完成させました。このような予想だにしないことが起こるのが、自然を相手にする海洋土木工事の宿命です。
DさんDさん
今回、話題にあがった3つの工事とは別の工事で、以前、新潟西港内にある、使われなくなった石油埠頭(船から石油や重油を降ろすための港湾施設)の撤去工事に携わったことがあります。この場所が新日本海フェリーと佐渡汽船の航路に隣接していたため、安全面では非常に気を遣いました。また、埠頭を支える矢板が劣化により歪んでいることが分かり、このまま撤去工事を進めると隣接する工場に影響が出る可能性があったため、大型土嚢で土留め(どどめ)をして、一旦埠頭を守ってから撤去・解体することになりました。学校で学ばなかったことだったので「そんなやり方があるんだ…!」と経験工学を実感しました。この矢板の劣化には、海水の影響が少なからずあるはずです。地上の土木とは違う困難さ・課題が、こういうところにもあるんだなと思いました。

街に暮らす人・港で働く人たちの期待と信頼を感じる仕事

AさんAさん
新潟西港地区に関するさまざまな工事は、決して目新しいものばかりではありませんが、新潟の街の暮らしを守る重要な工事です。信濃川はこれからも土砂を運んできますし、日本海の波は常に砂浜の砂を持ち去ります。そのため、浚渫工事も海岸侵食対策工事も、新潟の街に人が暮らし続ける限り欠かせない工事になります。私たち本間組は、街に暮らす人たちや港で働く人たちと、より強固な信頼関係が築けるよう、工事に関する情報共有・連絡はもちろんのこと、普段から地域住民の方々や港湾関係者とコミュニケーションをとり、「港のことで困ったら本間組に」と思っていただけるよう心掛けています。
BさんBさん
私は佐渡出身なので、昔から佐渡汽船は生活に欠かせない交通手段でした。しかしながら、この佐渡汽船が安全に運航されているのは、浚渫工事を行い、船の運航に支障のない川の深度を保ってくれているおかげなのだと知ったのは大学生の頃です。おそらく今でも、この事実を知らない方は多くいらっしゃると思います。派手な工事ではありませんが、新潟西港にとって欠かせない工事です。新潟の街に暮らす人たち、港で働く人たちの静かな期待が、私の仕事のやりがいにつながっています。

CさんCさん
先ほどDさんが話題に挙げていた「信濃川左岸緑地護岸改良工事」に、以前私も携わっていました。現場周辺にはかつて造船所があり、古くから賑わいを見せていた場所です。現場にいると、そのかつての街の賑わいを知る地域の方々から、「いつ完成するの?」とお声を掛けていただくことも多くありました。緑地化を行うことで、再び多くの人が集う場所へと生まれ変わる期待や、皆さんが心待ちにされていることを肌で感じました。また、個人的な思いになりますが、海洋土木は工事完了後に自分が立ち入ることができない場所をつくることが多いので、この「信濃川左岸緑地護岸改良工事」は、工事完了後に自分も市民のひとりとして利用することができ、うれしいです。私も完成が楽しみです。
DさんDさん
新潟出身の私は「地元に貢献したい」と思い、新潟県内で数々の大きな工事を手掛ける本間組に入社しました。もうすぐ入社2年目が終わる今、改めて思うのは、地元の方々・地域の方々からの信頼を得るためにも、自分の務めである施工管理という仕事をきちんと行っていこうということです。「信濃川左岸緑地護岸改良工事」に携わった時、地域の方から「いつ頃できるの?」「完成を楽しみにしているね」というような声を掛けていただき、気が引き締まりました。これからも多くの知識と技術を習得し、広い視野をもって業務にあたります。

これからも新潟港と共に

1946(昭和21)年に本間組が請け負った、新潟港の護岸工事。その後、新潟港に関わるさまざまな工事に携わり、海洋土木の技術を培ってきたことが、のちに本間組が「マリコン」と呼ばれるようになった理由の1つです。そして現在も変わらず、新潟西港地区のさまざまな工事を手掛け、新潟西港を陰で支えています。私たち本間組は、新潟を代表するマリンコントラクターとしての誇りを胸に、これからも新潟港と共に歩みを進めます。

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