
中越地震からの復興
平成16年(2004年)10月23日17時56分、新潟中越地方でマグニチュード6.8の地震が発生しました。川口町では震度7を記録したほか、小千谷市、小国町、山古志村などを震度6強の揺れが襲い、新潟県各地で被害が続出しました。
HONMAグループの緊急対応
山古志村 緊急排水路工事


激震による土砂崩れで、山古志村では芋川が5か所でせき止められ、天然のダムができました。放置すると増水時に土石流が発生するため、緊急に排水路工事を行う必要がありました。本間組はその1案件である最上流部の寺野地区を担当しました。
道路が寸断され、重機や資材はヘリコプターで搬入しましたが、気象状況によっては予定通りに届かず、予定が狂うこともしばしば。また、当初は電話が通じなかったため、本社と現地、山の上と下との連絡がつかず、不便を強いられました。宿泊施設もないため、作業員は毎日、新潟から山古志村に通い、最後は徒歩で荷物を持って歩きました。図面がなく、状況に応じて対応を変えなければならない難しい工事を、雪が降るまでの時間で終わらせなくてはとの思いを自負し、余震が続く中、社員は協力業者とともに多くの困難に立ち向かいました。
12月末、予定通りに工事は完了。二次災害回避のための排水路が完成しました。
関越自動車道復旧工事

関越自動車道も大きな被害を受け、通行できなくなっていました。とくに被害の大きかった小千谷から堀之内の間、上下線合わせて22キロメートルの復旧工事を本間組が担当しました。新潟と東京を結ぶ生命線であるため、一日も早い復旧が望まれ、第1班は10月25日に現地に到着し、そこから昼夜2交代24時間体制の工事を開始。最大で一日120人を投入し、11月4日に50キロ制限で片側一車線開通、26日に四車線の完全開通にこぎつけました。
災害復旧工事の特徴である、図面や予定表がない工事。現場の進捗を見ながら、毎日午後8時から発注者との打ち合わせを行い、10時過ぎにようやく翌日の作業方針を決定。その後に行う工事の段取りは深夜に及びました。さらに、施工でも、高速道路の路肩には光ケーブルが這わせてあるので、切断しないよう入念な作業が求められました。それでも、「本当に大変なのは、被災されたこの地区の人たち。それに比べれば私たちの苦労はどうってことはない」という作業員。その気持ちが限られた時間での大工事を可能にしたのです。
HONMAの15日間
地震が発生してから、HONMAグループがどのような復旧活動を行ってきたのか、時系列でご紹介していきます。
10月23日 |
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10月24日 | 【本間組】
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10月27日 |
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10月28日 |
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11月1日 |
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11月5日 |
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11月6日 |
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