HONMA STORY

HONMA STORY 災害から暮らしを守る

新潟地震の教訓に学ぶ

昭和39年(1964年)6月16日13時1分、新潟県粟島沖を震源とするマグニチュード7.5の地震が発生しました。

新潟のみならず、山形や秋田など広い地域で震度5を観測し、被害は広範囲に及びました。本間組本社も津波による浸水被害を受けました。

本社より市街地の復旧を

新潟地震では、最大1.8メートルの津波の河川遡上と液状化現象により、新潟市では1万2,334世帯が浸水被害を受けました。

本間組本社がある信濃川左岸の下町一体も浸水し、本社機能が失われました。しかし、当時の初代社長命令により、自社復旧より市街地の応急対策工事を優先し、社員は市内各地へ飛び出していきました。

昭和大橋が落ち、八千代橋や萬代橋のたもとは地盤沈下し、交通はマヒ状態。大型車が動けず、復旧工事の多くは人海戦術で行わざるをえませんでした。

社長を含め社員たちが本社に戻ってきたのは、築堤などの応急措置で水が引き出した、地震発生から9日目のことです。

「自宅が全焼や倒壊、浸水という非常時にあって、休日も返上して復興に精力的な活動をしてくれた社員に心から敬意を払うとともに、その姿は私の頭に焼き付いた」と、後に、初代社長は社員の努力を賛辞しました。

万が一に備える大切さ

強い揺れ、津波、火災だけでなく液状化現象が起き、地震によって都市はどんな被害を受けるのかを具現化した新潟地震。

液状化現象が初めて注目された地震であり、人々が都市型地震を初めて意識する機会にもなり、この後に地盤の液状化対策や建物の耐震対策などの技術が開発されました。

本間組では防災意識が高まり、リスク分散のためのBCPの推進を含め、災害発生時の体制強化に努めています。最も重要なことは、「あらゆることを想定して、万が一に備えること」「今、同じことが起きたらどうするか、いざという時にどう行動するかを常に意識し、改めて防災について考えること」。50年前の新潟地震から学んだことは今も生きています。

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